TOPICS

カンボジア学生支援 『LaPlace基金』プロジェクト 丸八テント商会 学生新規事業支援ファンド

PROJECT

株式会社YAEN地方創生ファンド

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=He & bar=「Tanimachi(タニマチ)」プロジェクト

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株式会社YAEN起業プロジェクト

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バッグブランド「Hanaa-fu」プロジェクト

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神戸生まれのブランド「ATAO」プロジェクト

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PRESS

日経新聞掲載 読売新聞掲載

Information

【寄付型】【StartUp支援】地域課題を、日本初の宿ビジネスで解決する。株式会社YAEN起業プロジェクト
このプロジェクトは、【StartUp支援プロジェクト】です。

【StartUp支援プロジェクト】は、これから起業しようとしている人、あるいは起業したばかりの人を応援するプロジェクトです。宙とぶペンギンは、「宙をとびたい」という夢をもったペンギンの挑戦を応援したいと考えています。ペンギンが宙をとびたいと願うことのように、新しいことへの挑戦は、周りから見ると不可能なようにも思われるかもしれません。でも、「大気圏を突き抜ければ、宇宙という場所で、僕(ペンギン)だってとべるんだ!」と情熱を燃やして、ほんとうにとぶことができて、だれも想像しなかった革新を起こすかも知れません。

宙とぶペンギンを通じて、そんな情熱をもった事業者が大気圏をつきぬけるられるよう、たくさんの応援が届くことを願っています。そして宙をとんだペンギンが、次にまた新しい挑戦者を生みだす力になって、想いがいつまでもめぐっていくことを願っています。
募集受付は終了いたしました


「この町に、もう一度子どもたちの笑い声を」

活用されない地域資源。過疎。空き家問題。その全てを、YAENが解決する。
このプロジェクトで集まった寄付金は、会社設立の登記費用等として使用します。


はじめまして、私は三重県尾鷲(おわせ)市で漁師をしている、北田と申します。私は今、地域にある資源(人やモノ)を正しく伝え、その土地でしか採れない食べ物や、その土地ならではの生産物など、「地域の資源」を、その土地以外の人たちに届けることで、生産者とお客様がどちらも笑顔になるような、橋渡しをする事業を行う会社を作ろうとしています。

その橋渡しのことを、私たちは「野猿(やえん)」と呼んでいます。

「野猿」とは、三重県尾鷲市が発祥と言われている木材運搬の方法です。伐り出した木材を山から降ろすために、山の高いところから低いところの道路や川まで架線を張り渡し、吊った木材の重さにより線上を滑らせて運搬する、昔の仕事人たちの知恵…それが会社名の由来です。私たちは、地域に眠る価値のあるものを、これまでその存在を知らなかった人たちに伝え、地域の資源を正しく届ける「野猿」になりたいと考えています。

「野猿」が奥深い山林から伐り出した木を運び、製材所や大工、木工職人、それを扱う商人を潤したように、「YAEN」は地域の奥にある「資源」を正しく運び、地域の魅力がたくさんの人に伝わる活動をしたいと考えています。それは、地域に興味を持ち、地域を訪れようと思ってくれる人を一人でも増やすための活動です。

「1軒1宿の宿泊施設」「気に入ったらその宿を住まいとして購入できる」日本初の宿ビジネス

そして次のステップとして、興味を持って下さった方が実際に地域を訪れ、その土地での暮らしを体験できるような、宿の運営をします。この部分で、私たちは新しい仕組みを考えています。それは、「1軒1宿の宿泊施設」「気に入ったら、その宿を住まいとして購入できる」というビジネスモデルです。地域の魅力を伝え、魅力を感じた人が地域を訪れ、地域の生活に価値を感じてくれた人がそこに定住する。地域資源の問題、地域の空き家の問題、そして過疎の問題を、この仕組みで解決したい。地域にたくさんの人が集い、廃校になってしまった学校に再びたくさんの子供達が通うような未来を描けたら…と思っています。

これまでにも有志でこの活動に取り組んできましたが、みなさまの力もお借りして「株式会社YAEN」という法人を設立し、この夢を実現します。

私たちが最初に取り組んだ「地域の魅力を正しく伝える」活動の一部を、Facebookでも発信しています。よろしければご覧ください。<https://www.facebook.com/yaen2015

<今後の計画>



今回のプロジェクトは、「寄付型プロジェクト」として皆さまの応援を募り、会社の設立、および地域に人が集まってくる仕組みを事業化するための、宿泊施設運営事業の費用として使いたいと考えています。そして応援してくださった皆さまに恩返しできるよう、次は「投資型プロジェクト」のかたちで、このビジネスの収益を皆さんにお返しのできる新たなプロジェクトの募集をしたいと考えています。





株式会社YAEN設立への想い

地域にこそ楽しく生きている人がたくさんいることを、地域の姿を正しく伝えたい

地方地域の生産の現場では、事業そのものの継続が危ぶまれているものがあります。林業・漁業といった一次産業、その直下に広がる加工業。それらの仕事を「生業」とする方々が多く暮らす地方地域は、産業の停滞と共に過疎、高齢化の問題にも直面しています。

一見するとこの状況は非常に暗いものであり、地域課題として捉えられています。しかしその一方で、そんな状況でも底抜けに明るく、楽しそうに、豊かに暮らす人たちがいます。実際に、三重県尾鷲市という人口2万人に満たない小さな海と山の町で暮らす私たちは、豊かな環境の中で楽しく生活しています。

なぜそんなことが起きているのか?

私たちはその理由を、地域には外部に流通しない「豊かな資源」が残っているからだと考えます。都市部への安定的な商品供給を目的とした流通は、不安定な素材を市場からはじき飛ばし、既存の流通ルートの先、つまりお客様に提供できる価格に合わせて1次産業・2次産業からものを買う仕組みを作りだしています。木や魚の価格は、取引される市場の価格で決定されるわけです。結果として、大量流通、大量消費の流れは、この市場の価格を下げ、素材そのものの価格を下げることに繋がっています。

一方地域には、そんな流通システムから外れたものが残ります。それは魚であったり、木材であったり、様々な素材とともに、地方地域の暮らしそのものを作り上げています。つまり、地域に残ったものは、「質が悪いから売れ残ったもの」ではなく、単に「流通の仕組みにのらなかったもの」だということです。そして地域に残ったものの中には、外部の人が知らない価値の高い資源がたくさん含まれているのです。

「YAEN」の目的は、地域に定住する人を増やし、地域課題と呼ばれる問題を解決することです。そのためには、何よりもまず地域の魅力を正しく伝えることが必要だと考えています。地域にあふれる素材と、地域の暮らしそのものに寄り添いながら、生産者とお客様を直接つないでいくことで、その魅力を外部の人に伝える。地域の人たちがなぜ「楽しく生きているのか」を正しく伝える。これからもずっと、楽しく生きる人たちがいる町で、一緒に生きていくために。そして、それを継続するためには、事業として収益をあげる必要があります。それが、法人としての「YAEN」を立ち上げる理由であり、私たちの想いです。




YAENの夢
 
廃校になってしまった学校に、子どもたちが通う風景が戻る、そんな未来を作ること。

私たちの事業の起点となる三重県尾鷲市九鬼町には、すでに廃校となってしまった小学校、中学校があります。3,000人が暮らした町の人口は今、500人。私たちの事業は、何年後か、何十年後かに、この廃校となった学校に子供たちが通う風景を取り戻すという具体的な夢が、事業全体のモチベーションとなっています。

この町から情報を発信し、この町から商品を生み出し、この地域に興味を持ってもらうことが、私たちの取り組みの最初のステップです。それは同時に、この町で出来る仕事を作る事にもなります。生産者とお客様をつなぐ新しい流通のアイデアを形にし、町の暮らしと生業が継承できる未来を作るための仕事。働く場所が出来るということは、この町で暮らすことのできる人が増えるということにもなります。

都市部へ直接モノを運ぶ、「行商」スタイルの仕事は、モノを売る事だけが目的ではなく、地域の暮らしそのものを伝えるための方法です。知ってもらうことで、たくさんの人にこの町を訪れたいと思って頂き、そうした人たちのために、体験型の宿泊施設を運営すること。それが私たちの考える2番めのステップです。

そうやって訪れ、滞在した町の雰囲気で、もしかしたらこの町で暮らしたいと考えてもらえるかもしれません。そのために、この小さな町に定住できる、住まいを提供すること。これが、3番目のステップです。

私たちは、これらのステップをそれぞれ事業化し、これらの事業にチャレンジする若者=地域に根をはった活動をする若者を育てていきたいとも考えています。

仕事を作りながら、ひとを作る。そして、町の生き方を作る。私たちの事業は、町と、町の暮らしに寄り添いながら進む事業です。私自身も、家族を呼び寄せこの土地に暮らしています。事業が成功するように、そして廃校に子どもたちの声が戻るように、一生懸命、全力でがんばります。ぜひ、ご支援をいただければ嬉しく思います。


私たちがこれまでに取り組んできたこと

私たちの夢は、廃校になった学校に子供たちの笑い声を取り戻ることです。そのために、3つのステップでの事業展開を考えています。

1.地域の魅力を、外部にいる人に正しく伝える事。
2.地域に興味を持ってくださった方が、そこに滞在できる宿泊施設を作ること。
3.地域の生活を知り、定住したいとかんがえる人に、住まいを提供すること。

子供たちが増えるということは、そこで暮らし、生活する人が増えるということです。この3つのステップを事業化することで、地域課題と呼ばれる3つの問題が解決すると考えています。

1.地域資源を付加価値化し、事業継承の問題を解決する。
2.地域の空き家を活用し、空き家問題を解決する。
3.定住する人を増やし、過疎化の問題を解決する。

私たちは最初に、「1.地域の魅力を、外部にいる人に正しく伝える事」に取り組んできました。その取り組みをいくつか紹介させていただきます。それぞれ、現在進行形の事例でもあります。ご興味頂けましたら、ぜひ私たちのFacebook<https://www.facebook.com/yaen2015>もご覧ください。




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尾鷲にある製材所の数を表す数字です。かつて60軒を数えた製材所は、現在6軒の操業を行うのみとなりました。住宅建材として最高級の評価を受ける「尾鷲ヒノキ」。しかし、その評価に反して産地の製材業の多くがやむなく廃業の道を選んでいます。

尾鷲市は、その面積の60%を森林に囲まれた地域です。古くから林業が盛んで、この地域で育てられたヒノキは「尾鷲ヒノキ」と呼ばれ、地域の名産となっています。かつての林業発展は、この地域の製材所の暮らしを支えていました。しかし、木造建築の減少と安い外国産の木材の輸入により、国内の木材価格が下がり、需要の減少に伴って林業は急速に発展の速度を緩めていきます。尾鷲の林業も、例外ではありませんでした。

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この数字が表しているのは、製材所の跡継ぎについてです。尾鷲に残る6軒の製材所のうち、跡継ぎが決まっているのは2軒しかありません。そのうちの1軒が、有限会社カネタ産業様という会社で、28歳の若い3代目への事業継承の準備が始まっています。

私たちの「野猿」としての取り組みは、3代目田中俊輔さんの想いに寄り添うことから始まりました。田中さんが抱える一番の悩みは、「製材所は、自分たちの商品の価格を自分たちで決めることが出来ない」ということです。大工さん・工務店さん・木材市場。業界への流通ルートしか持たない製材所は、自分たちの木材を一般のお客様の顔が見えない場所で、業者が決める価格に左右されながら木材を供給してきました。



3代目、田中俊輔さんと私たちは、その悩みを解決する方法として、一つの仮説を立てました。これまで建築用の構造材として製造してきた柱や板は家の一部として使われるので、一般のお客様の目には留まりにくい。だったら、一般のお客様に目に見えるカタチにして販売することが出来れば、一般のお客様のアイデアと結びついて、製材所が「価格をつけることが出来る」商品が生まれるかもしれない。大工や工務店にとっては家を建てるための構造材かもしれないが、柱や板は、一般のお客様のアイデアに触れた時、生産者が思っても見なかった「他の何か」になるかもしれない。

製材所に並ぶ建築用構造材の柱や板は、はたして一般のお客様に売れるのか?あたらしい流通を生み出すために、私たちが始めたこと。地方地域の小さな製材店にもっとも遠い場所で、売ってみること。直接、ヒノキの板や柱を触って頂き、購入される方がいらっしゃるのであれば聞いてみよう。「その木はなんに使われるのですか?」



私たちが考えた、もっとも遠い場所。東京のマルシェで、ヒノキの板を売ってみる。

トマトを買いにマルシェに来た人は、ヒノキの板を買って帰るんだろうか?恵比寿の高層ビルの間に、赤いテントが並ぶ恵比須マルシェの会場に、三重県尾鷲の製材所から到着したヒノキの板と柱を並べます。ヒノキの板も、柱も、売れました。トマトを買いにマルシェに立ち寄った人は、大きなヒノキの板を買って帰ります。ある人は、子供の勉強机に。ある人は寝室のテーブルに。会場いっぱいに広がるヒノキの薫りと柔らかな手触りに、喜んでくれる方は、確かにいたのです。

マルシェに持ち込んだヒノキの板は、「節物」と呼ばれる節のある板材です。節があると床材や柱としては使いにくいので、建築用の構造材としては価値が低く、大工や工務店はほとんど価格をつけない。節の無い、美しい板が大量流通の基準なのであれば、価値の低いとされた木の節目や形は、個性。お客様が選び、自分だけの一枚として購入した板は、もうこれまでの価値とは違う新たな価値観で取引されるもの。

「厚く切り出した板を、そのまま子供の椅子にしよう!」「この板に絵を描いたら面白いかも」「節のあるテーブルも、味があって素敵じゃない?」…私たちが当初想像していた以上に、たくさんのお客さまがヒノキの板に価値を見出してくれました。私たちの取り組みの最初の一歩目は、想像以上の反響でした。プロの世界では価値が低いとされてきた木材は、一般消費者には魅力的ある商品でした。個人向けの販売商品を開発し、新しい販路の開拓を行うことで、製材所の未来が切り拓けるかもしれない。三代目の想いと共に、私たちが「野猿」として「尾鷲ヒノキ」を「一般のお客様」に正しく届けることで、この事業を守ることが出来ると確信できる瞬間でした。




山の町であるとともに、海の町でもある、三重県尾鷲市。複雑なリアス式の海岸線に沿うように町が広がる三重県尾鷲市は、黒潮の恵み豊かな熊野灘に面する海の町です。古くは捕鯨、近代に入り遠洋マグロ漁船の基地として、カツオ漁船の母港として栄えてきました。明治32年から全国的に始まった、近海での大型定置網漁も積極的にはじめ、現在でも市内の3つの町で大型定置網を中心にした暮らしが営まれています。

豊かな資源にめぐまれて栄える尾鷲の漁業ですが、実はその背景に、大きな課題を抱えています。漁師の高齢化。平均年齢は60歳を超え、もっとも若い乗組員でも30歳。しかし町の漁師は、そのことを問題として捉えていません。定置網漁の定年は70歳。還暦を迎えても恐ろしく元気な、漁師。高齢化が進んでも、ちゃんと漁ができているという事実があります。それでも、この状況が続けば、いずれ漁師はいなくなるかもしれません。また、定年する漁師が増え、新しい募集方法などにより一度に定置網の乗組員が若返ると、経験と勘が最も重要となる漁師の技術の継承が難しくなります。

定年を迎える漁師はたくさんいるけど、新たに漁師になる若者は少ない。

漁師の定年。この言葉に違和感を感じるかもしれませんが、大型定置網に乗る漁師は基本的に会社員なんです。網元さんに雇われて、決まった額の給料をもらう、サラリーマンです。一般的に想像する漁師の仕事は、実は一部の個人漁師さんで、今、日本の漁師の大半は会社員なんです。そういう仕組みを知らないから、若い人が入社してこないという現実。

そう考えた時に、漁師の仕事や暮らし、漁師町での暮らしそのものをもっと身近に感じる機会が増えれば、「漁師」が就職先の選択肢のひとつになるかも知れない、と考えました。



漁師から買う魚がいちばんうまい。漁師町の常識を、みんなにも知ってもらう。

漁師町での漁師の暮らしを眺めてみると、漁師独特の興味深い風景がありました。魚を調理する漁師。遠洋漁業のマグロ漁船、カツオ漁船に乗る漁師は、船上での料理番が輪番で回ってくるため、基本的に魚を捌くことが出来る。これがかっこいい。調理人の捌き方とは違う、漁師の知恵が、そこにはありました。

そういえば、漁師町で町の人たちが買っていく魚はみんな、切り身でもなく魚のまま。見たこともない魚を嬉しそうにもって帰るお母さんたち。市場(しじょう)に出回らないような、見たことのない魚は、実は驚くほどうまい旬のお魚。漁師町の人は、みんなそれを知っています。



漁師町の風景と、漁師町の暮らし。そして漁師の生き方を、都市の人たちへ。

私たちはまず、港から魚を直送し、漁師や漁師の家族が魚のさばき方を動画で教える通信販売的な仕組みを試しました。実際に動画で届く漁師独特のさばき方、少し照れながらカメラに向かって話しかける姿に、本当に身近に漁師町の暮らしを感じることが出来ることがわかりました。

東京のサポーターに実施してもらったこの通信販売のモニター調査は、また新たに一つの仮説を生みました。通信販売で、個人宅でこの動画を見ながら魚を捌くのも面白いが、もしかしたらイベントとしてこの捌く体験を都市部で開催し、実際に漁師に来てもらったら。更に身近に、もっと楽しい時間を生み出すことが出来るのではないだろうか?



「サバキ会」。港町から直送された魚を、漁師町に暮らす人と一緒に捌くイベント。普段魚を触ることのない都会の人に、体験して頂き、食べてもらう仕組み。実際に東京で開催したサバキ会には25名もの人が参加してくれました。見たこともない魚に、驚くほど新鮮なアジやブリ。イワシを手で捌き、食べる。漁師の暮らしや仕事、漁師町での生活を伝えることを目的にしたイベントは、本当に新しいコミュニティーを生み出しました。



「この魚、どうやったら買えるんですか?」。電話一本で魚を取り寄せる方法が分かり、その日のうちに水揚げされたばかりの魚が買える。知った顔の漁師が獲ってきた魚。そこには新しい、今までになかったつながりが生まれていました。イベント自体も、参加費を頂いての実施にもかかわらず大盛況。またやってほしいと、お言葉を頂いています。サバキ会の定期開催は、私たちの夢の一つになりました。これから定期的に開催できるよう、企画の内容や参加者の募集方法など、仕組みを整えていきたいと考えています。


事業者プロフィール




北田 真規 (きただ まさき)
1974年10月22日、大阪生まれ

はじめまして、このプロジェクトの発案者の北田と申します。私がどうしてこのプロジェクトを実行しようと志したのか、その想いを伝えるため、まずは私の経歴を紹介させていただければと思います。少し長くなってしまいますが、お付き合いください。

私の最初の就職先は、郵政局でした。郵便課や貯金課などで業務に従事していました。しかし2000年という世紀の変わり目を機に退職をしました。理由は…なんとなく、未来が見えてきたからです。安定した公務員、目の前の先輩たちがそのまま自分の未来の姿。そう感じた時、辞める決心をしました。

自分には何ができて、何ができないんだろう。自分はどうあるべきなんだろう。答えにつながるものを見つけたくて、全国を旅してまわり、たくさんの地方を訪れ、たくさんの人々と交流しました。

そして2003年、三重県鳥羽市の観光旅館で玄関の下足番のアルバイトを始めます。

旅館では、お客様に喜んでもらうのが嬉しくて、たくさんの企画を考えました。鳥羽っていわゆる観光地で、牡蠣や伊勢海老など魅力的な資源が揃ってるんです。でも、6月だけは、それらの特産品の谷間で、集客が弱かった。そんなとき、なんとなく散歩をしていたら、鳥羽の近隣でホタルの飛んでいる田んぼを見つけました。これは!と思って、「ホタルの舞う風景」を宿泊プランの目玉にしたんです。地元の人はみんな知ってる景色で、当たり前のことだったから、それが魅力的だという事に気づいてなかったみたいなんです。いまでは、近隣のホテルの定番のイベントになっています。

そんな風にいろんな企画を考えていたら、だんだんと、新しい宿泊プランの開発や、リノベーションの仕事を任せてもらえるようになりました。1から宿泊施設の立ち上げを行ったこともあります。結局、下足番のアルバイトから副支配人・企画部長になっていました。その後、系列の旅館の立て直しを託されて、三重県紀北町に赴任。そこで、地域での暮らしや魅力ある資源はもちろん、その土地での暮らしそのものに興味が出てきて、それを仕事にできる可能性はないだろうかと真剣に考え始めました。

ところで、三重県の紀北町では、「マンボウを食べる」みたいな変わった食文化があります。港にはたくさんの種類の魚があがりますが、漁獲高が安定しなかったり、名が知られていなかったりして、流通に乗らない魚は安いんです。これを、都市部で紹介することはできないか…と考えました。それで思い出したのが、「姉妹都市」のゆるやかな繋がりです。大阪四條畷市が紀北町の姉妹都市となっていたのですが、なにかカタチのある”つながり“があるわけではなかった。そこにわかりやすいカタチあるもの(=食べ物、魚)を作ったら、もっと身近に暮らしや人がつながるんじゃないかと思いました。そこで、旅館を退職し、大阪四條畷市で紀北町の魚を使った料理を出す居酒屋をやることを決意しました。

「つながりを作る」ということに惹かれたのは、東日本大震災があり、自分自身も三重県の沿岸部に暮らしていたからかもしれません。たとえ遠くはなれていても、町や人を思い出してもらえるような”つながり”があることの大切さ。だから居酒屋には、紀北町での漁にあわせて大漁旗をかかげました。漁のない日は、店は休み。大漁旗もだしません。大阪が晴れでも、紀北の海が荒れて漁に出られなければ、その日は休みです。だからうちのお店に来る人は、紀北町の天気予報も気にしていました。離れていても、向こうの暮らしを気にかけられるつながり。そんな関係を作りたいと思っていました。

居酒屋をやっているうちに、だんだんと、生産者そのものをもっと知りたいと考えるようになりました。だから、2014年に意を決して居酒屋をたたみ、漁師に転職して、三重県尾鷲市に移り住みました。そこには、魚以外にも、魅力的な資源がたくさんありました。

今、私は、漁師としての仕事と平行して、旅館の仕事をしているときからずっと抱えてきた想いを形にするために、ヒノキや魚介など地域の資源を正しく届ける活動に取り組んでいます。つながりを作りたいという想いから始めたこの取り組みは、生産者の人にとっても、都市部の人にとっても、どちらにも喜んでもらえる結果を生み出すことができました。これから私は漁師の仕事を一旦お休みし、旅館の仕事をしていたときの経験も活かして、最終的に地域にたくさんの人が定住してくれるような取り組みの事業化に集中する決心をしました。そのために今回、法人としてのYAENを設立し、夢に向かって前に進んでいきたいと思っています。



購買型・寄付型プロジェクトでご利用可能な決済方法

・クレジットカード(VISA・MASTERCARD)/ 分配金等利用

キャンセルについて

申込みをした日から起算して8日を経過するまでの間に、運営者を通じて事業者に書面または電子メールによる解約を申し出た場合には、契約のクーリング・オフ(無条件解約)が可能です。その際、既に支払済みの金銭がある場合には返金されますが、銀行振込に際して振込手数料が発生する場合にはお客様にご負担いただきます。また、当該金銭に利息は付きません。なお、プロジェクトへの応募額が申込期間内に定められた目標募集額に到達しなかった場合、返金・キャンセルされる場合がありますが、銀行振込に際して振込手数料が発生する場合にはお客様にご負担いただきます。また、当該金銭に利息は付きません。

会社設立のお礼&新聞掲載のご報告

2015/11/26
中日新聞2015/11/26 この記事・写真等は、中日新聞社の許諾を得て転載しています。

こんにちは、YAENの北田です。

宙とぶペンギンを通じて、YAENの地域再生ビジネス起業プロジェクトにご賛同いただき、寄付を頂戴しましたこと、心から感謝申し上げます。

おかげさまで、私どものプロジェクトは目標金額を達成することができ、YAENの“夢”は一歩前進し、未来に繋がる道に立つことができました。

私どもの目指す宇宙(そら)はまだまだ遠く、飛び立つためには様々な準備やまなびが必要となりますが、ご賛同いただき、背中を押して頂いた皆様の“想い”をチカラにかえ、事業に取り組んで参ります。

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さて、私たちの取り組みが新聞に取り上げていただいたので、お知らせ致します。中日新聞さんに、魚サバキ会のことを取り上げていただきました!

こうした活動については、Facebookでも情報発信しています。よろしければご覧ください。
https://www.facebook.com/yaen2015/

それでは、引き続きよろしくお願いいたします。

お礼申し上げます。

2015/04/22

クラウドファンディングを活用しての創業チャレンジ。
株式会社YAEN設立の寄付型プロジェクトが、おかげさまをもちまして目標金額達成となりました。

あらためて、我々のチャレンジにご理解、ご協力いただきました皆様に、心からお礼申し上げます。
ありがとうございます。

よりたくさんの方に関わって頂くための方法のひとつが、クラウドファンディングの手法であると考え、起業からのクラウドファンディング活用を行っており、今後もプロジェクトごとに購買型、投資型と様々なクラウドファンディングの手法を用いて、我々がやるべき事に取り組んでいきたいと考えております。

楽しく戦う。
私たちは、企業としてのスタンスで、収益をあげながら地域の課題に取り組んでいきます。

ひとまずはお礼とご報告まで。取り急ぎ、設立準備を進めながら、次のプロジェクト設計を進めていきます。

想いを集める。
想いをチカラに変える。
「宙とぶペンギン」で、私たちの次のプロジェクトがはじまります。

集まっている金額
-円
目標金額 350,000円

-%

-日

申込金額
10,000円/口
このプロジェクトは
寄付型
のプロジェクトです
このプロジェクトは
特典付
のプロジェクトです(詳細は下記)
このプロジェクトは
StartUp支援
のプロジェクトです
このプロジェクトは
寄付額の2.0
のスコアが加算されます
※このプロジェクトにお申し込み頂くと、申込金額の2倍のスコアが【StartUp支援】に加算されます。スコアは、マイページでご確認いただけます。

このプロジェクトの事業者
北田真規さん

寄付特典1

YAENよりお礼のお手紙


寄付を頂いた方全員に、YAENからのお礼のお手紙を送らせて頂きます。


寄付特典2

尾鷲ヒノキの入浴木
(直径約8.5cm、厚さ約3cmの輪切りヒノキ)

1口につき1個、尾鷲ヒノキの入浴木をお送りします。尾鷲ヒノキの間伐材を直径約8.5cm、厚さ約3cmのサイズで輪切りにした、手のひらサイズの入浴用アイテムです。ご自宅のお風呂に浮かべていただき、尾鷲の森の薫りをお楽しみください。